素材へのこだわり

黒糖・白下糖 種子島

砂糖の始まり
 砂糖の原料であるサトウキビは古くはインドから中国を経て、沖縄(当時の琉球王府)に伝わりました。始めのころは自然栽培で自家消費程度の生産量でしたが、琉球が薩摩の支配下におかれて以来、本格的に栽培されるようになり、砂糖づくりの技術も熱心に研究されました。
砂糖が貴重な当時、サトウキビの栽培と砂糖の生産は大変優れた収入源であったため、同時に薩摩藩主はサトウキビの藩外への流出を堅く禁じました。
このように日本での砂糖の原点は九州や沖縄なのですが、現在では四国は讃岐の和三盆が大変有名になり珍重されています。その背景にはこんなお話があります。

和三盆が有名になるまで
 まだ砂糖の生産が薩摩藩に独占されていた頃、四国を遍路していた薩摩の旅人が急病にかかり、瀕死のところを讃岐の医者に助けられました。旅人は是非この医者にお礼がしたいと考え、見つかれば命を落とす罪を犯して、ふるさとの薩摩から四国へサトウキビを持ち込みました。そして、故郷へ帰れなくなってしまったこの旅人と優秀な医者は、讃岐で栽培・精糖方法を研究し、高い精糖技術を習得しました。その技術の集大成が和三盆糖です。以来讃岐は和三盆という貴重な砂糖の産地として瞬く間に日本に知られるようになりました。

砂糖のいま、そしてこれから
 その和三盆の原料と同じ品種を有機栽培し、自家精糖製糖工場を維持していらっしゃる農家が種子島にありました。
最初に砂糖の勉強をするために種子島を訪れた時は、想像に反して、自然豊かな島に大企業の精糖プラントが立ち並ぶ様子に驚かされました。大量生産を目的とする精糖会社は、サトウキビの糖度を高めるための品種改良や、精糖の機械化、簡素化、効率化などを研究し、需要の高い上白糖の量産を始めました。昔ながらの製法でこつこつ生産してきた農家の方は、当然儲けも薄く、次第に工場を閉め、サトウキビだけを工場に出荷するところが増えました。
儲け優先で、栄養も、健康への配慮も、島の人の気持ちも軽視して生産する砂糖が本当に良いものなのだろうか。大きな工場を見ていて、そんなことを考えました。

種子島の原糖
 現在、種子島の竹ノ内さんにつくっていただいている原糖は、サトウキビの絞り汁からおおまかに灰汁をとったものですが、風味が強すぎるあまり、お菓子へのアレンジ方法が限られてしまいます。
健康に良い黒糖を、なんとか少しでも多くのお菓子に取り入れられないかと思案し、現在の製法に加え、さらに灰汁とりを何度も行った「白下糖」の製法を教えていただきました。黒糖の独特の風味は損なわず、特有のエグ味がなくなり、お菓子への用途がさらに広がります。
私達はさらにこの白下糖を自分達の手で作ってみようと考えました。

自家精糖への夢
 砂糖は、お菓子作りとは切り離せない大切な素材。菓子職人が砂糖を再認識するためにも、これから現地種子島に出向いて砂糖作りを研修します。そして、やがては現地に里の菓工房を立ち上げ、砂糖から素材にこだわるお菓子工房になりたいと考えています。

 さて、一月は砂糖の旬です。白砂糖に慣れてしまった皆さんの中には、きっと砂糖の旬を御存知ない方もいらっしゃるかもしれません。
忘れかけていた旬のおいしさを皆さんに味わっていただくために、私たちは、素晴らしい素材を求めてまた今日も日本のあちこちを旅しています。

サトウキビの絞り汁を灰汁を取りながら煮詰めたものが黒糖。型に流す前によく撹拌することで口どけがよく仕上がる。

刈り取りから体験

黒糖からさらに灰汁を丁寧に何度も取り、よりまろやかな口当たりに仕上げたものがこの白下糖。

火加減を調節しながらの
根気のいる灰汁抜き作業

糖度を考えて選んだ大茎種

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